麺・酒処 ぶらり ラーメン 日暮里
「肩が痛いな…」
次郎は上野にある西洋美術館に入ったあと、肩の痛みを感じながら公園を歩いていた。
陽光が気持ちよく、公園の噴水が涼しげな空気を醸し出している。横にあるアメリカのチェーン店のコーヒー屋は今日も繁盛していた。
「ふん、こんなとこにとアメ公が進出して、それに群がる敗戦国民か…いまいましい」
次郎は肩を抑えながら噴水を通り過ぎる。しかし、思い直して、来た道を引き返し上野駅でJRに乗った。
日暮里で降りると怪しげな北口へ向かう。そこに怪しげなマッサージ店があり、そこに消えていく。
そこは中国人らしき女性たちがやっているマッサージ屋で、値段が安かった。いかがわしい店ではなくただのマッサージ店だ。
次郎はそこを何度か利用していた。皆力強く揉んでくれるため、そこが身体に合っていた。
今日も60分のコースを注文し、肩を強く押され目を瞑る。グイグイと来る指が痛気持ちいい。
気がつくと寝込んでいた。
「はい、終わりよー」
マッサージ師の女性に言われてゆっくりと起き上がる。寝込んだため少しダルいが身体は軽くなっている。
店を出ると伸びをした。
さてと、どこに行こうか…時間は2時。ちらほら高校生たちが通り過ぎていく。
遅めの昼飯でも食べるか…そう思ってキョロキョロしていると、そこらじゅうに中国系の町中華がある。しかし、気分は町中華ではなかった。しばらくふらふらしていると、小道の奥にラーメン屋が見えた。いや、居酒屋だろうか?恐る恐る扉を開けるとそこはラーメン屋だった。
『麺・酒処 ぶらり』
「ぶらりと入るにはちょうど良いな」
次郎は独りごちた。
食券機で鶏白湯が有名と書いてあったが、次郎はあまり鶏白湯が好きではなく、鶏そばを注文した。
揉みほぐされた身体には塩味がちょうど良さそうな気がした。
厨房を除くと、麺打ちはアジア系の人物だった。
チャッチャッチャッ♪と小気味良い湯切り音がリズミカルに聞こえて来たと思ったら丼が着弾した。
「お待たせしましたー」
湯気が丼から立ち昇る。

「ほう、これは麺妖な…」
美しいビジュアル。左側に緑の茎系野菜と、真ん中ち小麦色の麺、そして右側の辣味の鶏肉がまるでイタリア国旗のようだ。

レンゲで透明なスープを啜る次郎。
「Bravo!」
キリリとした塩味と鶏出汁が見事に決まっている。塩味があとを引く。
麺は細ストレート。主張しすぎない味がスープとの相性の良さを物語る。
ポイントはこの辛い鶏肉。ある程度歯応えが残っているが、食べやすい。辛みが単純な塩味にアクセントを加えて深みがます。気がつくとスープの風味もうまく全体を包み舌を楽しませてくる。
「これは当たりだった。まるでマッサージ屋を見つけた時の気分だぜ」
次郎はほくそ笑んだ。
ズルズルと音を立てて麺を啜り、スープを飲んだ。
「ご馳走さん」
次郎は一言添えて席を立つ。
店を出ると3時前。さらに高校生ほ増えている。ちょうど下校の時刻だ。
「俺は何をしているんだろうな…」
ふと高校生の時分を思い出したが、大した思い出も蘇らなかった。
「ラーメンを食べて、マッサージ、これでひとっ風呂浴びれば幸せの極地だよな。結局人生に意味はないんだよ。開成高校の君たちにもそれが判ればいいのだが…」
次郎は行き交う生徒を見送った。金髪の子供達に紛れて、ガリ勉メガネの高校生が通り過ぎる。
次郎はそいつに「頑張れよ!」と声を掛ける。
「お前もな」
低く小さな、だが確かな声でそう言い返された。
「く、世の中はまだまだ捨てたもんじゃねーか」
次郎はニヤついて、また歩き出した。その先には銭湯の煙突が確かに見えていた。
続く。
***
麺酒処 ぶらり
03-3805-9766
東京都荒川区東日暮里5-52-5
https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131105/13041644/
手打 親鶏中華そば 綾川 ラーメン 恵比寿
沈みがちな心を癒してくれるものは何か。
解決しない問題に悩む自分を癒してくれるものは何か。
いや、そんなものに答えはなかった。
人間誰しもが抱える悩みだ。
もしかしたら暇だからではないか?
そんな気持ちがよぎった。
こうなると居ても立っても居られなくなる。
次郎はジャージを脱いで普段着に着替えると家の外に出た。
外に出たからと言って、何か目的があるわけではない。どこに向かえば良いかもわからない。
とにかく歩いた。
不思議なもので、結局駅に向かっていた。
駅では二方向どちらにいくか迷ったが、えいままよ、気がつくと今日はいつも反対の方向に向かっていた。
今日はそんな気分なんだなと自分に問うてみる。
次郎はそのまま山手線に乗り換え恵比寿で降りた。久しぶりだ。
全てなんとなくの行動だった。
東口を出て白金方面にすすむ。
「ああ、そういうことか」
自分の意図がわかった。
まるで何かに導かれるようにやってきてしまった。もう5年ぶり、いや、それ以上か…。
手打親鶏中華そば綾川。
気がつくと店の前に来ていた。幸い待ち客は0。店の前にならぶパーテーションが通常は外待ちがいることを示していた。
店に入ると右手に食券機がある。
次郎は親鶏中華そばを押した。
店内はほぼ満席。さすがだ。
食券を渡し席に着く。
隣は女性客二人。ラーメン屋も変わったものだ。女性客が増えている。
暫くすると店は満席になり、先ほどのパーテーションに人が並び始めた。
良い時間に入った。次郎は小さなガッツポーズを心の中でした。やはり外に出て見るものだと確信した。
「お待ちどう様です」
その時、丼が目の前に鎮座した。
「おお、これだ」
思わず声が出た。

旨そうなビジュアル。
スープは黄金色に輝いている。
舌舐めずりをしたくなる。
ズズっとスープを飲む次郎。
「うますぎる!」
次郎は叫びそうになった。
淡麗な鶏ガラのよく出た醤油スープ。キリッとしているが鶏ガラの柔らかな油が包み込みスープを円やかにする。
麺はもちもちちぢれ麺。
ズルズルッと麺を啜る次郎。
たくさんスープを引き連れて麺が口の中に押し寄せる。もちもちした歯応えに、スープが絡み合い、なんとも言えない恍惚感に打ちのめされる。


チャーシューは二種類。バラと肩ロース。醤油につけ込まれたチャーシューは、歯応えがあるもののほろほろと崩れる絶妙な硬さ。スープにしっかり溶け込む醤油味。ジューシーだが脂っこすぎず、とても食べやすい。
ズルズルッと麺を貪り、スープを飲んだ。
あれよあれよとラーメンが消えて行く。今日の変な悩みもそのまま消えていくといいのになと思った。
「うますぎるぜほんとに…」
次郎は独りごちた。
「ご馳走さん」
「ありがとうございましたー」
首から汗が溢れる。それをハンカチで拭く。
きゃっきゃっと若い女性が店に並んでいる。
世の中も変わった。俺もそろそろ変わらねばならないよな。そう思ったが、やはり何も浮かばない。
散歩でもするか。
次郎は白金方面に歩みを進めた。
しばらくすると家の中からピアノを練習する音が聴こえてきた。
立ち止まり耳を澄ます。
たどたどしいショパンのバラード。
「いいよな、目指すものがあるやつは…」
ぼそっと次郎はこぼし、手を前に出す。まるでピアノが弾けるかのように指を動かす。
次郎は空を見つめしばらくぼおっとした。
「ふん、やること…か」
そう言いながら再び歩き出す。
ピアノ…そういえば昔実家でよく弾いたか…と何か兆しのようなものを感じていた。
続く。
***
手打 親鶏中華そば 綾川
東京都渋谷区恵比寿1-21-18 ライツ恵比寿1F
https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130302/13253970/
覆面智 ラーメン 神保町
次郎はオヤジの目を見た。
オヤジはうなずいた。
その間わずか10秒だろうか。
次郎にとっては永遠にも感じるほどの長さだった。
いや、それは長さとはまた別の尺度の全く新しい単位に似た何かのようだった。
すくなくとも、次郎にとっては、曲折40年の生涯の時間が全て乗った、その結晶のような何かが弾けたような、そんな目と目の交錯、人生対人生の交錯だった。
「お待ちど。ラムいいよ」
ごとりと丼が次郎の目の前に置かれた。
口数の少ない店主の一言は、その一言を逃すまいと隣に座る全ての常連が自分への言葉を固唾を飲んで聞いている。まるで硝子張りの部屋で生活する自分を街ゆく数多くの人々全てが覗き込んで来るようなある種の不躾さをひしひしと肌で感じるような、そんな瞬間に発せられる貴重な言葉だった。
「はい、楽しみです」
二人はまるで恋人同士だった前世からの約束を今ハッキリと認識したような奇跡をお互い感じているかように、静かに、そして密かに、ただ確かに笑い合ったような笑顔だった。

美しい透明で黄金のような塩スープ。
トッピングの生卵がまるで太陽でも月でもあるような不思議な宇宙のビジュアルで鎮座している。まずいわけがないだろう。
「どれ」
ズズっと勢いよく、しかし静かに、まるで50年間毎日素振りを続けてきた武士が、その剣を鞘から解き放った時に出る音のような何かに似た蓮華捌きで次郎はスープを啜った。
「ふほっ!」
しっかりと長時間煮込まれ、研ぎ澄まされたラムの油に塩が滑らかにマッチ。塩気の尖りがある中で、ラム肉のコクがスープ全体に行き渡り、驚くべきバランスで融合された風味になっていた。
そして、この玉子ちぢれ麺。細麺のしこしこした麺がこの黄金のラムスープと溶け合うように融合し、口の中で旨みが爆発する。なんどもフレアが太陽の表面で爆発を繰り返すように、口の中で、スープと麺が混ざり合って核爆発を起こしたかのような激しさと、その後に残る愛しさにも似た風味が口の中にいつまでも残り、次の一口、また次の一口と誘われてしまう。そっちへ行ってダメ、昔から神隠しに会う者はみんな行ってはいけない方へと行ってしまうことで帰らぬ人となる、まさにそんな甘い誘いがこのラーメンにはあった。
ズルズルっと、勢い良く次郎は麺を啜り、スープを飲んだ。焦がしエシャロットがパリパリとした食感を、まるでボーイのライブで布袋寅泰が繰り出すギターのインプロビゼーションのように新鮮で斬新な歯応えをもたらす。これご恍惚の極みと言っても差し支えないだろう。
次郎は無心で食べた。気がつくと、スープまで完飲していた。
「やっちまった…」
次郎は独りごちた。
「ありがとうございます。とてもうまかったです」
次郎はオヤジの目を見て言った。オヤジも他の客の丼の盛り付ける手を止めて、ニヤッと笑う。
「ありがとね」
次郎は頷く。私とあなたは今世で結ばれることはない、それをわかり合った上での微笑み返し。なんとつらく悲しい物語だろうか。二人は愛し合っていたことを確認しているというのに別れなければならないそのつらさ。そんな気分にさせるおやじの表情のように見えた。
次郎は上着を持って、店の敷居を跨いだその時。
「またね」
オヤジが次郎を柔和な笑顔たが強い眼差しで言った。
次郎はまるで大きな軍艦がまさに横須賀港を出ていく、もう二度と会えないことがわかっていながら、せめてもう一度会いたい、その気持ちだけは伝えるそんな「またね」であるかのようなオヤジの一言をしっかりと受け止め、軽く左手をあげて振り返らず、ただ横顔を見れば口角は上がり、しかしその目には光るものが見えたとか見えないとか、そんな気持ちで店を出た。
「ふぅ、最高だったな」
まるで感動の映画を一本見たかのような読後感を持って腹を撫でる次郎。その目にいつゴミが入ったのか、次郎は涙を指で拭き取った。
「あれ。ちえちゃんラーメン?こんなに近かったか…」
新たな物語りがまたすぐに上映の時刻を迎えようとしていた。
続く。
***
覆麺 智
東京都千代田区神田神保町2-2-12
https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13054078/
まる惠中華そば ラーメン 巣鴨
次郎は巣鴨に来ていた。
特に当てがあるわけでもない。ふらりと地下鉄に乗り、気がついたら都営三田線に乗っていた。大手町を過ぎ、神保町を過ぎた。
いつもならここで降りるはずだが、今日はなんとなく神保町ではない気がした。そのまま乗り過ごし、白山あたりに来たところで、そろそろどこかで降りないと終点の高島平まで行ってしまいそうな気がした。
それはそれで悪くないのだが、高島平に何かあるとも思えず、思い立って巣鴨で降りた。
巣鴨には棘抜き地蔵という地蔵があり、そこに大きな商店街がある。観光客も良く来る場所で常にまぁまぁの賑わいを見せている。
次郎は駅を出て棘抜きのほうに歩いたが、人が多くて面倒な気分になった。
もともと今日は気分に任せているののだから、わざわざ嫌な気のする方へ行く必要はないかと思い直し、反対方面に向かう。
こちら側は「鴨と葱」、「生姜は文化」、「まる惠中華そば」とラーメンの名店がひしめき合うエリア。やはり、そういうことかと、先ほど自分が巣鴨で急に降りるべきだと感じた理由がわかったのだ。
「俺も根っからの…だな」
次郎は独りごちた。
さてと、今日はどこに行くか…少し思案するものの、心は一つに決まっていた。
ロータリーから一本裏の通りに入るとまるで割烹料理屋のような店構えが見えてきた。外待ちはなし。
次郎はスタスタと店に近づいていった。
店内に入ろうとしたところで、太ったバーコードおやじが店から出てきて、次郎に当たりそうになった。
次郎はひらりと身をかわすとそのまま店内に入り込んだ。
「チッ」と舌打ちするようなおやじの声が聞こえた気がしたが次郎は無視して扉を閉めた。
馬鹿めが、次郎様に体当たりを喰らわそうなど100年、いや1000年早いわ!
そう心の中で叫んだ。
気を取り直して食券機を見た。お勧めは醤油のチャーシュー麺のようだ。が、次郎は今日は塩の気分だったので、塩チャーシュー麺豚バラ肉のほうを選んだ。肩ロースに惹かれもしたが、肩ロースのチャーシューを想像できなかったため、バラを選んだ。やはりまだまだ脂が恋しいようだ。次郎は思いながら自分の腹を優しく撫でた。
食券を渡しながらカウンター席に着く。水はと探すと背後にあるタンクにセルフと書いてあったため、一度立ち上がり水を注いだ。
中の店員は二人。割烹着を来ており、その先を期待させた。
「お待ちどおさま」
ごとりと丼が置かれた。

「ほほー、これは見事な…」
まるまると大きな豚バラチャーシューが丼一面を覆う。そのボリュームたるや、まるで豚が丸ごと一匹入っているような質量だった。
その下にある塩のスープが黄色がかった透明で食欲をそそる。
レンゲでスープを飲む次郎。
「くっ、うま」
キリッとした塩のスープが油と相まって多少のまろやかさを呈している。しかし、基本は尖った塩。これはうまい。
続いて、麺に行く前にこのデカブツを倒すしかあるまい。そうして掴んだチャーシューは大物も大物。むしろ握力が負けて再びスープの湖に落としてしまいそうになるほど大きなチャーシューだった。
それを口に持っていき、大胆に噛みちぎる次郎。ジューシーな油が口一杯に広がり、背徳の極みをまさに今極めているかのようだ。
ほとばしる肉汁と塩気たっぷりの肉。満足しないわけがなかろうではないか。
そして、この太い麺。次郎はどちらかと言うと細麺派なのだが、この店に来るとこの太麺が合うような気がしてしまう。
このスープはこの太麺に負けないほどの味を備え、麺と戦いながら口の中に入ってくる。まるで妖怪大戦争だ。勝者はどちらだ?いや、どちらも強い。
「ふーー」
次郎は大きなため息をついた。それほどの戦いがこのラーメンには潜んでいた。
次郎は麺をすすり、スープを飲み、そしてチャーシューにかぶりついた。
忘れ去られていた自らの野獣性を今まさに発現したかのような荒々しさで丼に勝負を挑んでいた。
世の中は全て無だ、そんな思いの果てまで感じるほどに無心に貪った。
「ふー、ご馳走さん」
「ありがとうございましたー」
次郎は席を立つと放心状態のまま店外へ出た。そこに一人の高校生が今まさに店に入ってくるところだった。次郎はなんだか無性にこの小僧に体当たりをしたくなった。
しかし、その小僧は高校生特有の軽い身のこなしで、まるで牛若丸のごとくひらりと次郎をかわし店内にすり抜けていった。
「ちっ」
次郎は舌打ちして振り向いたが、まさにそのタイミングで牛若丸は店の扉をピシャリと閉めた。
はっと気づく次郎。先ほどの俺とバーコードオヤジの戦いとまるで同じではないか。
この店のラーメンにはそんな魔力が潜んでいるのか、改めて割烹料理屋のよう店構えを見あげて、次郎はぎょっとした。店の上に見慣れぬ白い狐がいた。ように見えた。それは幻かはたまた…。
「まぁいい。次は負けぬぞ」
次郎はうっすらと額にかいた汗を手でぬぐい大通りにでた。
そういえば巣鴨には気持ちの良いスーパー銭湯があったなと思い出した。これはこのまま風呂へダイブといくか。
次郎の休日はこうしていつも通り過ぎていくのであった。
続く。
***
まるえ中華そば 巣鴨
03-5395-8808
東京都豊島区巣鴨1-14-1 プラトーサカ 1Fhttps://tabelog.com/tokyo/A1323/A132301/13248342/
味芳斎支店 中華 大門
次郎は浜松町に来ていた。
今日は久しぶりに大学時代の友人九条友嗣と会っていた。
彼は浜松町にある有名な劇団の広報マンだった。元は彼も俳優を目指していたが、やはり世間の高い壁は越えられそうもなく、それに関連する仕事を探し、今の仕事についたのだった。
そんな彼から久しぶりにメールがあったのは一週間前。
何でも今回はヨーロッパの中世の歴史について調べ物をしており、そう言えばそのあたりの研究を次郎がしているらしいと聞いて、久しぶりにメールをしてみたらしい。
次郎も昔馴染みと話すのはここ最近の新たな光明になるのではと、気軽に応じた結果が今日の邂逅となった。
「よう、元気か?」
待ち合わせの喫茶店に先に着席していた九条が店の入口付近でキョロキョロしていふ次郎に声を掛けた。
「おお、久しぶりだな九条」
次郎もそう言いながら九条の対面に腰を下ろした。程なく店員がやってきて、二人はアイスコーヒーを注文した。
「それで、どんなことを聞きたいって?」
「ああ。来春にルネッサンスの光と闇を題材にした演劇をやるんだが、その時代にラトゥールという画家がいるだろう。彼の絵の光と実在の闇の対比を劇の主題にしようかと考えていてな。それで、それに見合う内容があるかどうか、次郎先生に聞きたいと思ってな」
「ほう、ラトゥールか。しかし、まだ准教授にすらなっていない俺に先生はよしてくれ」
「ああ、すまん、気にしないでくれ」
次郎はふんと息を吐いて、テーブルにおいてあった水を飲んだ。
「しかし、九条は広報だったよな?それが脚本にまで口を出せるのか?」
「それがな…」
ニヤリと九条が笑ったところで、アイスコーヒーが運ばれて来た。二人はそれを素早く取ってそれぞれググッと飲んだ。九条の喉仏が動くのが見えた。
「それなりに俺もこの会社で実績をあげたのでな、少しは劇そのものに興行の面から口を出せるようになってきてな。脚本のサポートという観点からやりたいことに口が出せるようになってきたのさ。今回は、脚本家が中世の劇をやりたいというのでな、俺自身が好きなラトゥールを題材にするのはどうかと思ったんだ」
「なるほど、そういうことか。肝入りなわけだ」
「そういうことだ」
こいつも頑張っているんだな…なんとなくそれを感じた。もがいていると言うのが正しいのかもしれない。直接行きたいところに行けなくとも、置かれた場所で近づきながらなんとか花を咲かせようとしている。
「で、ラトゥールの何を聞きたいんだ?」
「こいつを読んでくれないか?俺なりの解釈と脚本の方向性を書いたんだ。是非とも率直な意見を聞かせてくれ、学術的な正しさと企画の面白さと。」
劇の背景と大まかな骨組みが書いてある。九条は脚本をやりたいのか…。
「わかった読んでみる。不明点はメールする」
「よろしく頼む」
二人は置かれた立場について情報共有したあと、店を出た。
次郎は複雑な気持ちになっていた。というより尻に火がつくような、そんな感覚になった。
企画者としての挑戦心が書類から伝わってくる。羨ましくさえある。
「昼飯でも食うか…」
次郎は眼前に迫る東京タワーを見上げながら独りごちた。
「尻に火がつくな、こういう情熱を見せられると。あ、そういえば!」
次郎はネットを検索して思い立った店を見つけた。
「よし」
店に向かって速足で歩いた。
その店は大通りから一本裏にその入口があり、地下に下りる階段がある。
「久しぶりだ。移転したんだな」
店は昔の場所から移転して綺麗になっていた。
「いらっしゃいませ」
店員に見覚えがあり、なんとなく安心する次郎。カウンターに通されメニューを見た。特に前と変わらない。再び安心した。
手をあげ、麻婆豆腐と牛肉の辛煮込みを注文した。
「味はどうだろうか」
店の壁を見つめる次郎。
暫くして麻婆豆腐がやってきた。

「おお!」
変わっていない。辣油の赤いビジュアル。
スープも付いて。ライスにオンしたらヤバそうだ。
次郎は麻婆をライスにオンして、頬張った。
「はふ!、うま!、辛っ!」
これだ。これだよ明智くん。怪人二十面相も納得のうま辛さだ。次郎はバクバクと麻婆をライスオンして食べた。
次第に舌が痺れる。水で辛さを洗い流しつつ、牛肉のうま辛煮を食べる。

「これは見事なうま辛だ。そのまんまだがそうなのだから仕方ない。ぎゅっとした肉の柔らかさにうま辛のアンがそれを包み込む。噛んだ時は旨みが口に充満し幸せな気分を持ってくるが、その後が辛い。がそれが後を引く。み、見事だ…」
次郎は水を飲んで舌を洗い流した。しかし、辛さはもはや消えない。この後は時間との戦いだ。
次郎は水を飲み、息をはーはーと吐きながら麻婆とライス、うま辛煮とライスをまるで餅つきのようにリズミカルに交互に食べた。
時折り水で舌を洗い流し、食べに食べた。
舌からそろそろ炎が出そうになった時、皿が空になった。
「ふう…お疲れさん」
じんわりと全身にが火照り、額に汗が浮き出る。水を更に一杯ごくごくと飲み、大きな溜め息をついた。まるで火炎龍が街ごと吹き消したあとのようなファイヤーブレスだった。
「知らんけど」
次郎は独りごちた。
会計を済ませ、階段を上り店を後にした。
「さて、帰るとするか…いや、銭湯にでもいくかな」
次郎は目当ての銭湯に行くため地下鉄に向かう。
俺はいつまで講師を続けていくのだろうか…
今日会った九条はもがきながらも前に進んでいる。俺もまた進まねばならない。渡された企画書を読んで、その熱を感じたいような、感じたくないような、なんとも言えない気持ちに苛まれた。
「ええい、ここは銭湯でこの鬱陶しい熱を洗い流すのだ」
見上げた曇天に東京タワーが突き刺さっている。俺も必ず突き刺すのだ。自分を覆うこの厚い雲と未来を。
次郎はそう誓って地下街に下りて行った。
***
味芳斎 支店
03-3433-1095
東京都港区芝大門1-4-4 ノア芝大門 B1F
https://tabelog.com/tokyo/A1314/A131401/13283054/
半ざわ ラーメン 西巣鴨
次郎は父の墓参りに母と錦糸町を訪れていた。
久しぶりに父の墓に来た。墓石に水と酒をかけ、花束を置く。
ようやくうっとおしい暑さが鳴りを潜め、涼しい風が吹き抜ける時分となっていた。
母とともに墓の前にしゃがんで手を合わせる。
俺は何を報告できるのだろう。
いい歳して結婚もせず、仕事も未だ准教授になれずに講師と助手をしている。
父に報告できることは結局何もないと理解した。
母は手を合わせてもあっさりと目を開け、特段の思いもなさそうだ。
「長いわねあんた、何か報告したの?」
「いや、何か報告できることがないか考えていたんだけど、結局何もなかったよ」
「そう」
母はそんな自分をチラッと見るだけで特に何も言わなかった。もともと考えても仕方ないことには頓着しない。そういうたちだった。それが楽でもあった。
寺を出て、錦糸町駅の近くの蕎麦屋に入る。天ぷら蕎麦を注文した。
思えば外で母と何かを食べるのは久しぶりだった。
特段話すこともないが、母の従姉妹が足が痛いだの、前の家にある木に椋鳥が住み着いただの、腰が痛いだの、そんな日常の話をした。そこでも自分の将来について母は聞いてこなかった。少し寂しくもあったが、ありがたくもあった。
母と電車で秋葉原まで出ると、そこで次郎は別れた。見送る母の背中はやはり少し小さく見えた。仕方がない。母ももう82歳だ。できるだけ長く生きてほしいと思うが、それも自分ではどうしようもないことだと感じた。
母の背中が階段から見えなくなると、次郎は長いため息をついた。
「さて、気晴らしに…」
考えこむ次郎。大学に行く気にはならない。次郎は山手線に乗り換え巣鴨に向かった。
巣鴨に降りると北へ歩いた。いつもはこの辺りにあるスーパー銭湯に行くことが多いのだが、そのまま歩き続けた。
風が背後から吹きつけ、散歩にはちょうど良かった。
天ぷら蕎麦を食べたばかりだが、やはり蕎麦はすぐに腹が減る。わかってはいたが、次郎は母と別れてからすでに腹を決めていた。
西巣鴨まで歩くとそこを高速道路の橋桁がある方に折れる。しばらくすると目当ての店があった。
「半ざわ」
黒い看板に白い文字で店名が書いてある。
次郎は横戸をガラリと開けて店内に入った。
券売機には本日の限定、「ブイヤベース風ラーメン、1200円」と書いてあった。
次郎、基本のラーメンと迷ったが、ブイヤベースを選んだ。
カウンターに座り、食券を渡す。
「覆面のおやじの会員なのだが…」
「あ、どうぞどうぞ」
「ではメンマを頼む」
「はいわかりました」
おやじの弟子の店。トッピングを一つサービスしてもらった。
奥で店主が麺を茹でている。いい具合に寸胴鍋から湯気が垂れ込めている。
次郎は涎をすすった。
「はい、おまちどうさま」
カウンターにラーメンが置かれた。

「ほほーう。具沢山、盛沢山だ!」
次郎は独りごちた。

まずはスープを。レンゲに掬ったスープの色は黒黒としている。
口の中に入れると、芳香な海老の香りがプンと匂う。そしてその上から複雑な魚貝の味が押し寄せてくる。スープの具材にもなっているいかや帆立などの味もする。それがまろやかな醤油に包まれて口の中で爆発する。
「これはうまい」
隣に座る50前後の男が独りごちていた。セリフを奪われた次郎。ニヤリとして今度は麺を啜る。

口の中に麺が入ってくる。モチモチとしているが吸い込みやすい。スープの軍勢を引き連れて口の中に入ってくる。
魚貝のうまみと麺のコシが最高のハーモニー。たまらず次々と麺を啜る。

帆立とアサリ、それにいか。もうなんでもござれの多国籍軍だ。

極め付けはこのチャーシュー。鶏肉も豚もあり、ほろほろと溶けていく。醤油の味がしっかり効いてスープに負けない味付けだ。もはや全てがエースで四番。まるで大谷ではないか。そんな気分にさえなってしまう。
次郎は夢中でラーメンを貪った。
親父、俺はまだまだ半人前だが、ラーメンを見つけるのは結構うまいんだぜ。それなりに幸せを感じてるさ。まぁ気長に見ててくれ。
次郎はその想いを乗せてスープを飲み、麺をひたすら啜った。
「ご馳走さま、うまかったよ」
「ありがとうございましたー」
額から滲み出る汗をタオルで拭きながら店を出た。その瞬間に吹き付ける一陣の涼しい風。まるで親父が声をかけてきたように感じた。
空を見ると、まだ明るいが、もう北の空には北極星が瞬き始めている。
「まだまだ終わっちゃいない。見てろよオヤジ」
次郎はそう呟いて西巣鴨の駅に向かって歩き出した。
続く。
***
中華そば 半ざわ
03-6903-7236
東京都豊島区西巣鴨4-13-6 西巣鴨ビル 1F
https://tabelog.com/tokyo/A1322/A132201/13246222/
新橋ニューともちん ラーメン 神保町
「ちっ降ってきやがった」
次郎は空を見上げて舌打ちした。
次郎は神保町で本を探していた。西洋絵画史のとくにカラヴァッジョに関する本だった。少しマニアックなジャンルのため目的の本は見つからなかった。
このまま大学に戻るのもなんだし、なんとなくせっかく神保町に来たという証が欲しかった。
そうこうしているうちに雨が降ってきた。傘は持ち合わせていない。
宵越しの傘は持たない主義だ。
ふと見ると、そこに「新橋ニューともちん」という新しい店ができていた。立ち食いラーメン屋らしい。新橋に本店があるようだ。◯◯ちゃんラーメンの流れだろう。この手の店は最近結構いろんな駅近に出店している。透明なスープに薄切りチャーシューがたくさん載って、キリッとした塩味か特徴的だった。
開店したばかりそうだが、客は結構入っているようだ。
次郎は時計を見つつ、ラーメン屋に入っていった。
「いらっしゃい」
中から威勢の良い声が響く。次郎は入口付近にある食券機でネギ中華蕎麦を買った。850円。まぁそのぐらいか。最近のラーメンはすぐに1000円を越える。ここは良心的な値段だった。
次郎はカウンター下に荷物を置き、セルフの水を汲んで待った。どうやら食券を渡さずとも買った時点で注文が通るシステムのようだ。店員はカタコトの日本語を操っている。
机には調味料とキュウリの漬物が置いてある。次郎はそれを食べて待つことにした。
しばらくすると湯切りの音が聞こえ、どうやら次郎のラーメンが盛り付けられている。
グゥと腹がなった。
「身体は正直だな」
次郎は独りごちた。
「14番のお客様、オマタセシター」
出来上がったようだ。次郎はキッチンに行き
ラーメンを受け取った。

「おお、やはりともちゃんラーメン。スッキリした塩味スープ。チャーシューもいい感じだ」

「どれどれ」
次郎はスープをすくい飲んだ。
「おお!やはりこの味はやはり尖のある塩。脂も多めで閉じ込められたスープが熱い。うまいなやはり」
次郎は立て続けにスープを飲む。こりゃ止まらんやつだな。
「さて、次はチャーシューだな」
「デフォルトでチャーシューの枚数が多いのがいいんだよな」
次郎はチャーシューを一枚口に放り込んだ。
「おお、塩気が合って、ギシギシした食感でいうまい。更に、スープと一緒に食べると旨みが増す。熱々のスープが再び食欲を誘う」
「さて、」

次郎はおもむろにら、麺をリフティングした。そして勢い良く啜った。
「ズズズズ、ズズズー」
「こりゃうまい。塩スープと麺が見事にマッチでーす!だな!」
そのセリフは店の中で空虚に響いた。
次郎は一息ついて、麺を啜りに啜った。
やはり、入って良かった。お腹を少し押さえつつ、太らないように祈った。
「ご馳走さん」
額の汗をペーパーで拭い、食器を戻す。
店員からのありがとうございましたの声に手を上げ店を颯爽と出た。
雨は未だ降り止んでいなかった。
「このまま講師として終えるのは真平だ」
顔をあげると雨が降りつける。向かい風に打ち勝ち、自分を克服しないとならない。再び心のファイトを燃やし、次郎は神保町の地下鉄に潜っていった。
***
新橋ニューともちん 神保町店
東京都千代田区神田神保町1-12 島田ビル 1Fhttps://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13300837/