自分の確立。
なんだそら。あぁ。
次郎は独りごちた。
次郎は最近いろいろな手段で自分について考えていた。
30も半ばを過ぎ、友人や同僚は皆結婚し、子供がいる。
明らかに会話が噛み合わなくなっていた。
友人との会話の大半は子供と老後の話し、同僚の場合は社内の話。
しかし、次郎はまだ自分自身に対する興味が尽きなかった。
自分はどうあるべきか。どう生きていくべきか。しかし、この10数年朧げながらずっと考えているものの、それに結論は出せていない。
次郎はできるだけ他社の人間に会い、違う価値観の人間に会った。
新たな人生を知る度、情報は広がり、感情は乱れた。
しかし、そこに答えはなかった。
ある程度朧げに方向性が見える時があるが、雲のように輪郭がなく希薄だった。
もどかしい。
まるで夢の中のようだ。そう感じる日々が続いていた。
そして、そこに至る度、無償に腹が減るのだった。自身の実体を確かめるべく、一人飯を喰らうのだった。
うまいものを咀嚼し、唾液とともに胃袋に流し込むとき、無償に安堵し、自分がどうあるべきかなど、とるに足りないものだと思えるのだった。
鳥もも肉香味揚げ膳。
今日そんな次郎のもどかしさを癒した一品がこれだった。
先輩から紹介された銀座の歌舞伎座の奥にたたずむこの店はひいらぎと言った。普段は串揚げ屋のようだが、昼はこの鳥もも肉の香味揚げが看板メニューだった。
知る人ぞ知る店であり、口コミでしか行き当たらない店だった。店主から昔から経営しているこじんまりとした店は、地元の人から愛されているようだった。
おい、香味焼き膳を頼む。
次郎は、おそるおそる、しかしぶっきらぼうに言った。
はいよ。
店主のぼくとつとした声が聞こえた。
これは期待できる。次郎は直感していた。
ジュワッ〜、パリパリパリッ♪
衣が揚がる音。
キラキラとまるで子供の頃遊んだシャボン玉が飛んでいくようだった。
次郎は鳥ももがこんがり揚げった姿を想像した。
自分がどうあるべきかなんてどーでもよくなっていた。
ちっ、こうやってアッサリ10年が経っちまうんだよな。
次郎はまたしても独りごちた。
はいよ、鳥もも。
突如沈黙は破られた。
ぐ…おぉ!
悔しいが、想像したものと違わないパリパリな香味揚げが出現した。
悔しい。なぜか悔しかった。おそらく先輩がこんないい店を知っていたからだ。くそっ、なんてことだ。
いまのままの自分でいいんです。
誰かが言っていた言葉を急に思い出した。
自分の確立も大事だが、今の自分のまま、今に集中して生きる。つまり、この香味揚げに集中する。これが今を生きてるってことなんじゃねーか。
次郎は一つの結論に達した。
サクッ♪
鳥もも肉に箸を入れた。
肉汁が溢れる。これはたまらん。
次郎は香味揚げを口に放り込んだ。予想通り、衣がジャクッと割れ、鳥もも肉の肉汁が溢れた。衣にかかっていた魔法の香味粉が混ざり、口の中に幸せが溢れ出した。
う、ぅぐぁ、、、旨い!
旨いぞ大将!
次郎は目で訴えた。
しかし、大将はもくもくと次の香味を揚げていた。
むしゃむしゃと貪りつく次郎。あっと言う間に平らげた。
くくっ、人生はこれだから止められねぇ。函館次郎は、やはり一人飯を極めるしかないってことか。それとも…
結局答えはでないものの、今に満足してしまうのだった。
そして既に明日のうまい飯をさがし始めているのだった。
また来るぜ大将。次郎は店を後にした。
銀座の木枯らしが次郎の前をカラカラと横切っていった。
続く。
ひいらぎ@銀座
串カツ屋だが頼むべくはランチの鳥もも肉の香味揚げ膳。パリパリの衣とジューシーな鳥もも肉のバランスが絶妙で最後に振りかかる魔法の香味粉が味に絶大な深みを加える。ボリュームも満点。腹の減ったサラリーマンに送るべき逸品。銀座としてはコスパも良い。
3.7次郎